2015年1月30日金曜日

長宗我部地検帳 幡多郡入野郷鹿持川村

本稿は、豊臣政権の讃岐占領以降、長曽我部氏と共に土佐に移った観音寺香川氏(観音寺新左衛門)の土佐に於ける知行所の詳細を表計算化したものである。観音寺香川氏は、その知行の過半を幡多郡入野郷鹿持川村で持っていた。著者は、当該地域の模様を、「長宗我部地検帳」を元に、表計算データで再現した。
此処に公開する拙稿は、最終校正を終えていない。著者は、現在、別の案件に取り組んでおり、この作業に復帰することが適わない。取り敢えず、2012年1月24日に入力を終えたデータを、アップロード、同好の士に供したく思う。背景に赤色を施した部分は、今後、詰が必要である。
合掌。








0 件のコメント:

コメントを投稿