2015年1月30日金曜日

生駒氏に依る肥後検地

過日、讃岐入封直後、生駒氏が、遠く肥後へ出張、肥後検地に従事したことを記した。

参照
生駒氏に依る肥後検地(上坂眞信は私の筆名)
http://kousakashikenshoukai.blogspot.jp/2013/11/blog-post_6.html

一昨日、「大日本古文書家わけ五の二」及び「大日本古文書家わけ九ノ二」に興味深い書簡を見出した。 以下、ご紹介申し上げ、今後の研究に供したく思う。
合掌。



長宗我部地検帳 幡多郡入野郷鹿持川村

本稿は、豊臣政権の讃岐占領以降、長曽我部氏と共に土佐に移った観音寺香川氏(観音寺新左衛門)の土佐に於ける知行所の詳細を表計算化したものである。観音寺香川氏は、その知行の過半を幡多郡入野郷鹿持川村で持っていた。著者は、当該地域の模様を、「長宗我部地検帳」を元に、表計算データで再現した。
此処に公開する拙稿は、最終校正を終えていない。著者は、現在、別の案件に取り組んでおり、この作業に復帰することが適わない。取り敢えず、2012年1月24日に入力を終えたデータを、アップロード、同好の士に供したく思う。背景に赤色を施した部分は、今後、詰が必要である。
合掌。








伝える会



齢六十を、或いは七十を過ぎ、自身の脳裏にはあるものの、纏めきれず、書冊にもノートにもしてこなかったことが多々あるのではないでしょうか。斯く記す私なども、此の侭、自らの人生と共に胡散霧消させてしまう案件が幾つもございます。起承転結まで持って行けなくても、草稿として残しておけば、同行の士が紐解くことも可能です。亦、同学の人々と語りあう時空間があれば、思わぬ思考が浮かび、作業が進むこともございます。伝える会を準備した所以です。
合掌。
古の昔と比べれば、現在は、紙媒体、或いは電子媒体と、人々の智慧を伝える道具が揃っています。然し、欠けてしまったものもございます。伝承、言い伝えです。嘗ては、優れた作文能力が無くとも、口伝えにて、年長の方から幼少の者へと教えられた知識がございました。今は、世代間の会話が希薄となり、そうした時空間が存在しなくなりました。
亦、文章を良くする人々に於いても、決定稿、最終稿を望めば、なかなか、書冊を成すことが適いません。此処では、完璧を望む前に、それぞれに残された命の長さを鑑み、後の人々が使える史料、或いは優れた研究テーマが持っていれば、それを広く公開することを提案いたします。
伝える会では、現代の、そうした未完の思考過程を残していくことを目指しています。
合掌。