2015年3月27日金曜日

花稲村 (豊田郡花稲村)  

香川甚太夫に係わる調査で、都合三度、花稲の地を訪れた。その折、同地は、大谷池からの導水が絶たれ、水に困ったとの話を聴いた。
仮に、生駒家の讃岐支配が続いていたならば、斯様なことにはならなかった筈である。実際、水が絶たれたのは、生駒家廃絶後のことであった。
此処に、生駒時代の花稲村、そして隣接の柞田郷の様態を、ご紹介申し上げる。と同時に、花稲村に知行所を有した五人の生駒家家臣(大石玄鉄、河崎惣右衛門、清水忠兵衞、高原文左衛門、眞野勘右衛門)の総知行目録も添付する。
彼らの役職、或いは知行所の分布を見れば、御理解いただけるかと思うが、彼らが居たならば、大野原の開拓が行われても、勝手に水の供給を止めることなど出来なかったのである。
合掌。



上記史料は、合田學著「讃州豊田郡志史料篇-1 生駒氏統治時代」からの引用である。
合掌。

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