梶原藍水氏は、仁尾天神城跡について、その著、「古今讃岐名勝図会」に、以下の如く記している(添付画像)。此処で城主として記録された吉田氏は、先学梶原氏が著された如く、後に生駒家に仕えたことが、「生駒家家臣分限ノ記」「讃州御国中村切高惣帳」等の生駒藩政文書によって確認出来る。
以下の画像は、「讃州御国中村切高惣帳」に記された三野郡仁保村(原三豊市仁尾町)である。吉田儀兵衛の名が見える。
以下の画像は、合田學著「生駒家給人帳、生駒家知行帳」「讃州生駒家に於ける給人知行の概要」から、吉田氏に関する記述及びグラフを抽出したものである。
梶原氏は、前掲書に於いて、生駒家改易後の吉田氏の進退について記しているが、その背景に関しても、先に紹介した吉田儀兵衛の知行所を見ることによって、頷ける。この人は、仁保にも知行所があった。それも、自らが新田開発を行っている。生駒氏襲封以前から仁保と係わりのあった吉田氏の末裔と見て、略、間違いないのではないだろうか。
合掌。
追記
以上、仁保の武将が、中世から近世へと生き抜いた一事例を記した。生駒氏襲封時の知行所が、現在の仁尾の奈辺に位置するか、此れが分かれば、地方の屋敷跡等の確認が進み、古の仁保が再現出来るのだが・・・・・。
合掌。
参考文献
合田學著「讃州生駒家給人帳(第四版1999年6月5日刊)」
合田學著「讃州生駒家知行帳(第四版1999年6月5日刊)」
高野山文書に見る生駒家襲封初期の侍名簿
合田學校訂 「生駒家家臣分限ノ記」
合田學著「寛永年中讃州生駒家知行帳グラフ篇(第三版2001年11月18日刊)
合田學著 「生駒時代高松城侍屋敷図(郭内篇)」
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